岡部氏との会話を経ての、児童ポルノ規制についての私的整理
何やら岡部氏は別件で忙しいらしく、6月8日に行った質問に対するお答えを戴けていない。
今後お返事を戴ける見込みも無さそうなので、氏とのやりとり継続は一端諦めて*1、児童ポルノ規制に関して存在する立場などを自分なりに纏めてみることにした。
※以下の文章においては、
「児童ポルノ」→現在の法律でも制作が規制されている、児童を撮影した実写作品
「児童ポルノに類する漫画」→被写体となる実在児童が存在しない創作物
「児童ポルノ等」→「児童ポルノ」「児童ポルノに類する漫画」両方を合わせた物
という意で語を使用しているつもりです。
それぞれの意見についての整理
あちこちでさんざん言われている事ではあるが――
話題となっている児童ポルノ規制法改訂についての争点は、主に下記の二つに分けられる。
- 単純所持を規制すべきかどうかについて(六条二項,新七条一項に関係する問題)
- 『児童ポルノに類する漫画等』を規制すべきかどうかについて(附則二条に関係する問題)
また改訂に賛成している側も反対している側も、賛成,反対の論拠などが完全に一致しているわけではない。特に反対派の中には、附則二条についてのみ反対(単純所持規制は容認)する人々もいる(逆はあまり見かけないが、探せばいるのかもしれない)。そこで賛成派,反対派それぞれについて、その意見を整理してみた。
規制賛成派
賛成派が規制を行うべきとする理由は、下記7つに分類できると思う。
- 児童ポルノ作成に拠る性的搾取(=被写体として撮影されること)から児童を守るため、単純所持も禁止すべき。
- 性的搾取の被害児童(=撮影された人)を救済するために、単純所持も禁止すべき。
- 『児童ポルノに類する漫画』を見た人間は、漫画でない児童ポルノも見たくなる。よって実際の児童ポルノを防ぐのと同様、『児童ポルノに類する漫画等』も規制すべき。
- 『児童ポルノに類する漫画』も含めた児童ポルノ等は、それを見た人間による『児童に対する性的な搾取,虐待』を助長する。よって『搾取,虐待』を防ぐために、規制すべき。
- 『児童ポルノに類する漫画等』も含めた児童ポルノ等は、それを見た人間に悪影響(学力の低下など、犯罪と無関係でも社会にマイナスに作用する影響も含める)を与える。よってその悪影響を防ぐために、規制すべき。
- 『児童ポルノに類する漫画等』も含めた児童ポルノ等の存在が(個人的,生理的に)気に入らない、見たくない。よってそれを撲滅するために、規制すべきである。
「1」,「2」は単純所持規制のみについての考え、「3」は『児童ポルノに類する漫画等』の規制のみについての考え、「4」〜「6」は双方共通の考えである。
また4にある『児童に対する性的な搾取,虐待』は、実際の児童に対する暴行などを意味する(『漫画等』を見ることによる児童ポルノ助長は3に含まれるため)。
これらを規制の目的ごとの再分類すると、
1→児童ポルノの消費者を減らし、産業に打撃を与える――それにより間接的に、「撮影される被害者児童」の数を減少させる
2→児童ポルノが閲覧させる回数を減らし、撮影された被害者児童の被害を軽減する
3〜5→見た人間に影響が与えられることを避ける
6→岡部氏の言う【憎悪の問題】……憎悪を抱く人を満足させるための規制
となろう。
規制反対派
これに対し、規制すべきでないという反対派の主張は下記四点に大別される。
- 規制派が持つ規制理由には誤りがあり、それは改訂を行う理由にならない。
- 表現の自由を守るために、規制は行うべきではない。
- 冤罪の懸念など、運用方法に問題があるから、改訂すべきでない。
- 規制を行うことで生じる弊害が存在するので、規制は行うべきではない。
こちらの①について補足すると、ここで「誤りがある」とされる対象は
・「見た人間に影響が与えられることを避ける」為の規制
つまり上記『規制反対派の規制理由3〜5』についてである。
残りの『規制反対派の規制理由1,2』が誤りであるという主張はされることが少なく、また仮に主張したとしてもそれに正当性を持たせることは難しいと思われる。よってこの論点で成される規制反対は附則二条(『児童ポルノに類する漫画等』の研究)についての反対であり、六条二項,新七条一項は容認しているものも多い。
2の主張には、
『創作物規制についてのみ反対』~『改訂前から禁止されている実写児童ポルノも規制すべきでない』
と内部でも大きく幅がある。この幅は、何によってなら表現の自由が侵されることは容認できるか(あるいは何によっても容認できないか)によって生じていると思われる(たとえば
『何によっても表現の自由は侵されるべきではない』と考えれば『実写児童ポルノ規制にも反対』となり、『被写対象児童の人権によっては侵されてよいが、それ以外は駄目』ならば『創作物規制についてのみ反対』といった具合に)。
またこの立場は、『規制反対派の規制目的が正しくても(=表現による実害があっても)、それよりも表現の自由が優先される』というものなので、上記「規制反対派1」の主張する【『規制反対派の規制目的』の正誤を問う】という行為自体に反発する場合も多い。
↓実際にこの反発により議論が発生したトコロ
まとめよう、あつまろう - Togetter
3で指摘される運用上の問題は、
・新七条一項にある『自己の性的好奇心を満たす目的』を検証することは可能なのか
・児童ポルノの定義*2 はあいまいであるため、『自分の所有しているモノが児童ポルノにあたるかどうか』の判断を個々人に行わせるのは難しいのではないか
・持っているだけで違法行為が成立する、という点を利用して、恣意的な捜査や過度の取り締まりが行われるのではないか
などだ。既に単純所持が違法となっている諸外国の状態を引き合いに出して論じられることが多い。
また取り上げているのはあくまでも運用上の問題であり、規制自体の正当性については善いとも悪いとも言っていない。このため規制理由の正誤を問う「規制反対派1」とは異なり、表現の自由を重視する「規制反対派2」と対立する事態も生じていないように思われる。
4は、「児童ポルノ等があるために、〇〇という悪影響が発生する」という規制賛成派の主張への対抗、という側面も強い。
このため「規制を行うことで生じる弊害」として上げられる内容も、
狂人演説(2013/06/04):児ポ法改正案が通ると実はある日子供がロリショタエロ漫画買って前科持ちになって親は困るんじゃないか? - Togetter
小説家、我孫子武丸さんの考察「強い表現が生み出すもの」 - Togetter
岡部さんとの議論のあとで、夏井ふたたび児童ポルノ規制について。 - Togetterの【想像する1〜16】
と様々である。
とはいえ
という大多数の有権者には、「規制賛成派1,2」の主張も「規制反対派1〜3」の主張も所詮他人事、どうでもいいこととしてしか捉えられない可能性もある。その場合、彼等は「児童ポルノ等により発生する悪影響(=規制賛成派3〜5)」と「憎悪の問題(=規制賛成派6)」,「規制を行うことで発生する悪影響(規制反対派4)」のみで規制の是非を判断することになるわけで、その点からいえばこの「規制反対派4」の観点が有する影響力は非常に大きいのかもしれない。
また「規制反対派4」の規制による悪影響の有無を問題にする、という態度は、逆に言えば「悪影響が無ければ規制してもよい」とも読み取れる。よって「規制反対派2」の反発を招きやすい、という点では「規制反対派1」と同様に思えるのだが――「規制反対派2」と「規制反対派4」の対立については、まだ見たことが無い。これは単純に「規制反対派4」の主張が小さい為なのか、それとも「規制による悪影響の主張」は「運用上の問題」同様に「表現の自由」とは別の論点と捉えられているためなのか、はたまた私が気付いていないだけで対立は存在しているのかは、分からない。
争点整理
以上を踏まえると、規制問題について考えられる争点は、以下の9点だ。
一.「規制賛成1,2:被写体となる実在児童を減らすため+被写体となった児童の被害を軽減するため」の児童ポルノに対する規制←この目的で「規制反対2:表現の自由」を侵すことは許されるのかどうか。
二.「規制賛成3:児童ポルノに類する漫画を見た人間は、漫画でない児童ポルノも見たくなる」という主張←「規制反対1」の立場からの批判,検証……この主張は本当に正しいのかどうか。
三.「規制賛成3:児童ポルノに類する漫画を見た人間は、漫画でない児童ポルノも見たくなる」ということに基づいた、児童ポルノ興隆を防ぐための『児童ポルノに類する漫画』規制←この目的で「規制反対2:表現の自由」を侵すことは許されるのかどうか。
四.「規制賛成4,5:児童ポルノ等がそれを見た人間に悪影響を与える」という主張←「規制反対1」の立場からの批判,検証……この主張は本当に正しいのかどうか。
五.「規制賛成4,5:児童ポルノ等がそれを見た人間に悪影響を与える」ということに基づいた、児童ポルノ興隆を防ぐための『児童ポルノに類する漫画』規制←この目的で「規制反対2:表現の自由」を侵すことは許されるのかどうか。
六.「規制反対3:法の運用方法に問題がある」という主張……この主張は本当に正しいのかについての批判,検証。
七. 規制反対3:法の運用方法に問題がある」という主張←規制により生じるメリットと比較して、この「問題」は許容できないほどの問題なのかどうか。あるいは問題を解消できるより良い規制方法は無いのか
八.「規制反対4:規制することで弊害がある」という主張……この主張は本当に正しいのかについての批判,検証。
九.「規制反対派4:規制することで弊害があるから規制すべきでない」という主張←規制により生じるメリットと比較して、この「弊害」は許容できないほどの弊害なのかどうか。あるいは弊害を解消できるより良い規制方法は無いのか
このうち二, 四, 六, 八については、データを収集して検証することが可能なものだろう。
七, 九については、もし規制を行うならば当然考え続けなくてはならない問題だ。
一,三,五は主張の根拠となっている「人権」,「自由」の定義、何故それが必要とされるのかというところまで話を拡大すれば、有益な議論は可能だと考える。
ここまでは、分かる。結論がどうなるかはさておいて議論,検証は成立するし、していかなくてはならないものだと思う。
故に分からないのは、上記「議論の争点」としては挙げられなかった問題、「規制賛成⑥:児童ポルノ等の存在を憎悪を抱く人を満足させるため、規制すべき」というものなのだ。
憎悪による排除
岡部氏が言うには、この「憎悪による排除」という考えは「表現の自由に基づく規制反対論」と『価値観の綱引き』を発生させ、『こういう価値観の綱引きは議論によって妥当性が決まるのではなく、合意で決まる』のだそうだ。
これはつまり、
「憎悪による排除」は他の「規制賛成1〜5」とは次元を異とする特殊な規制理由であり、その特殊さ故に合意が形成されたならば異論は封じられなければならない
ということだろうか?
だが残念なことに、憎悪が規制に繋がる理由がよく理解できていない私(これは恐らく、感情というものを軽視しがち(あるいはロジカルに捉えがち)だ、という私の性格に理由があるのだと思う)には、この「憎悪による排除」が持つ特殊性についてもやっぱり分からない。
そもそも、もし「憎悪」が広く合意されるだけで「憎悪する対象の排除」が正当化されるならば、人種差別や同性愛差別が将来的には正しいこととなる可能性だってある。だが「同性愛者への憎悪について社会的合意が形成されれば、同性愛者差別に加担しますか?」という私の問いに対しては、岡部氏から「それはない」というお答えを戴いている。ということは、この【「憎悪による排除」が持つ特殊性】とは、「児童ポルノに対する憎悪」が持つ(そして「同性愛者に対する憎悪」は持たない)特殊性なのではないか?
……いやでも、憎悪などという個人の嗜好に由来する感情が、向いている対象によってそんな特殊性を持ったり持たなかったりすることがあり得るのか? あるいは実際に憎悪する人間になら、この特殊性というのは自然に受け入れられるものなのか? いやでも、憎悪しない人間には受け入れられないような特殊性が規制の正当性を担保し得るとも考えにくいし……うーん、さっぱり分からない。あるいはやはり、『大風呂敷を広げれば、性的マイノリティへの理解やペド嫌悪(児童保護)は、霊的進化のベクトルに一致すると思う』という岡部氏の価値感に、この特殊性は起因しているのか*3?
やはりどう考えても分からない。この点については、保留にするしかなさそうだ。
とりあえず言えるのは、
児童ポルノ等を憎悪し、その憎悪を理由に排除したいと思う人間が存在する。
児童ポルノ等規制賛成派の中には、上記「憎悪による排除」を他の規制理由とは異なる特殊なものとする考えがある。
ということだろう。この「特殊なものとする」理由は結局謎のままになりそうだが、チャンスがあれば是非とも何なのか知りたいものである。
*1:とはいえ、もしお答えいただけるなら再開したいとは思っています――と、予防線を張っておく
*2:二条三項によれば、『一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態 二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの 三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの』
*3:だが性的マイノリティに対するベクトルなんて、結構頻繁に変わっている(たとえば日本の場合、寛容だった江戸時代→西洋文明が入って不寛容に→最近また寛容に)わけで。そんなものを根拠に特殊性を主張するには無理があると思う
岡部氏との会話の経緯、及び今後の発言の方針検討
ツイッタ―で岡部さんという方に質問などをしていたら、「長い、端的に書け」と怒られてしまった。
その反省も込めて、これまでの会話の経緯とこれからツイッタ―に書き込もうと考えていることを、一端ブログに書き連ねる(ここに書いたものをいったん整理して纏めた後で、ツイッタ―のほうに書き込む予定)。
※今回の記述は、まとめやツイッタ―でのやり取りに対する私の主観に基づいて書かれたものだ。
よって私の勘違いなどで、もとの発言者の趣旨とは異なる記述をしてしまっている可能性もあるので、その点は留意されたい
――って、誰も見ていないようなこんなブログで、予防線張る行為ほどむなしいものはないな。
質問を行うまでの、私の中での経緯
私と岡部氏のやりとり(もしかしたら私が一方的に突っかかっているように見えているのかもしれないが)の発端は、私が岡部氏に質問を行ったことだ。
だがその質問を行おうとした理由は、岡部氏と夏井氏のやりとりについてのまとめを読んだためである*1。
児童ポルノ規制について、岡部さんと夏井のやりとり - Togetter
この中で岡部氏は、『児童性愛のポルノコンテンツは厳しく規制すべきものである、という世界的な潮流』が存在すると主張する。氏によればその潮流は、『児童性愛者が公の場所で大手を振ってその性的対象となる児童をバーチャルであっても具現化し描写する行為を忌み嫌う』ものであり、この潮流に則した形で法整備(=二次元も含めた児童ポルノ規制)は進められている。
対する夏井氏はそれが『行き過ぎた不当な押しつけ』であり、『嫌悪し、遠ざけるのは結構。奪ってはならない。』と主張する。
これに対する岡部氏の反論は、ペドフェリアを『絶対に許容しないと不快感をもつ層がこれだけ多いので世界的な規制が現実に起こっており、不当とは言いにくい』,『現実に児童ポルノがこれだけ嫌悪され排除傾向にあるという社会的合意は厳然とある』というモノだ。
岡部氏によればこのペドフェリアに対する憎悪,排除の流れは一つの正しさとなっていて、ゆえに少数意見の尊重,フィクションの不可侵性という夏井氏の主張する別の正しさと『価値観の綱引き』『二律背反』の関係になっている。
この関係については夏井氏も『「綱引き」だと考えて下さる方が一人でも多くいれば、それなりに議論が成立しますし、合意点を探ることもできると思います。』と言っていて、ここまでについては両氏の議論は噛みあっているように私には読めた。
ゆえに両氏が食い違うのは、この『綱引き』のやり方であるように思える。
夏井氏は上述した『それなりに議論が成立しますし、合意点を探ることもできると思います。』のように、『議論』し『合意点を探る』ことがこの綱引きのやり方であると考えているように読める。だが対する岡部氏は、『「どちらが論理的に正しいか?」ということではなく、どちらの価値観を優位に置くか?という投票行為、コンセンサスの醸成』としてこの綱引きは行われ、だから『後者の潮流(ペドフェリア嫌悪による規制)が我が国でも押し切るという事象』のように世界各国ですでに決着は付いている、と考えているように思われる。
夏井氏はこの岡部氏の考えについて、『「世界各国の潮流、コンセンサス」に懐疑的』であり、『多数派の感覚が常に正しいとは限らない』と反論する。
対して『「レイシズムは悪」とか「検閲は悪」とかそういう絶対的価値観ではありえなくて、その時代の大多数のコンセンサス、「時代がそうだから」っていうしかないんだよ。』と考える岡部氏は、『「正しいのか?」という疑念についても、その時代の正義とは、価値観の綱引きの結果にすぎず、それはマジョリティのコンセンサスに過ぎない』と再反論する。
この綱引きのやり方(=議論のやり方)に一致をみないまま、両者のやりとりは物別れという形で終わっている。
このやりとりを見た私の感想は、「もったいない」というものだった。
児童ポルノ規制についての賛成派と反対派が、罵り合いでなくきちんとした議論を試みようとしていたのだ。是非とも物別れに終わらせず、噛み合った議論を続けてもらいたい。そうすればもしかしたら両者の間で何らかの合意が形成される可能性だってある。
とはいえ上述の『綱引きのやり方』に一致を見ないままでは、この噛み合った議論は行えそうにないようにも思われた。
同時に私個人としては、『綱引きのやり方』については夏井氏のやり方が正当であるように思われた(これは、日常生活などで私の価値感が少数派として扱われる場合が多いことの影響だろう)。ゆえに私は、岡部氏が『綱引きのやり方』を再考する余地は無いかどうか考えてみることにした……それに成功すればもしかしたら両者の議論の再開も望めるのではないか、などという勝手な期待を抱きながら。
・初めのやりとり
まず岡部氏に確認したかったのが、氏の「正しさ」とは何を意味するのかだ。
岡部氏は『憎悪,排除の流れ』と『少数意見の尊重』の双方に正当性があるというが、私にはこの『憎悪,排除』の理論がよく分からなかった(だが、理解したいとは思っていた)。
そこで
『「本能的嫌悪感、危惧感をもつ人々の排除の情熱」が持つ「正当性」は、そのような人々の「嫌悪と排除の情熱が強烈だ」という現在の状況にのみ依存する、という意味なのでしょうか。』
と尋ねてみた。
これに対する岡部氏の答えは、『前者(規制反対派)の情熱と同じくらい後者(規制推進派)の情熱も強い』というものだ。
そこで情熱が強ければどんな主張でも、例えば「韓国人に対する嫌悪感」「同性愛者に対する嫌悪感」にもそれを排除する正当性があるのかを尋ね、その正当性が『次代(時代?)とベクトル』に由来する、とのお答えを頂いた。
そこで一歩踏み込んで、
ということは、(この質問はあくまでも仮定の話として、「実際にそうなる可能性」の高さとは関係なくお聞きしたいのですが) もしこれからベクトルが変化して、何年後かに「ペドフェリアに対する排除傾向」が緩和され、逆に「同性愛者に対する嫌悪感」が大きく醸成された場合
あるいはSF的な仮定も許容するとすれば、「同性愛者に対する嫌悪感」が人々の間で強く共有されてい多様な時代にタイムスリップでもしてしまった場合、
岡部さんとしてはその時代のベクトルから、今度は「ペドフェリア」を容認すべきものとして、「同性愛者」を排除,強制すべきものとして区別するよう意見を変更する、ということでしょうか。
と、仮定を含めて問うてみた。
これに対して岡部さんからは、
『大風呂敷を広げれば、性的マイノリティへの理解やペド嫌悪(児童保護)は、霊的進化のベクトルに一致すると思う』とした上で『その一方向ベクトルを認識しているのでそれはありえません。』とお答えいただいた。
このお答えによって、私は彼との合致点が見出せたような気がした。
夏井氏とのやりとりで岡部氏は『「正しいのか?」という疑念についても、その時代の正義とは、価値観の綱引きの結果にすぎず、それはマジョリティのコンセンサスに過ぎない』と言っていたが、その岡部氏自身が『マジョリティのコンセンサスに過ぎない』のではなく、論理的に正しいと『認識している』『一方向ベクトル』の存在に言及された――ように思えたからだ。
ならば彼が正しいと考えるベクトルについて、本当に正しいのかどうかを検証する――つまり夏井氏が提案していた『合意点を探る』という行為を行うことも可能となるはずである(この合意点を探る議論は、当然潮流やコンセンサスとは切り離されて行われるもののはずだ。潮流,コンセンサス自体が誤りであった事例は歴史上いくらでもある(たとえば国家社会主義独逸労働者党政権はワイマール憲法下で国民のコンセンサスを得て成立したものだし、『人類の政治体制は「資本主義→共産主義」という一方向のベクトルに進んでいる』という考えが世界中の多くの人々に信じられていたのは、半世紀も前の話ではない)し、それに岡部氏自身からも、「たとえ未来に同性愛者排除というコンセンサスがあっても同性愛者を差別するつもりがない」というお答えを戴いているためだ)。
・二回目の発言と回答
そのような考えから、私が再度した質問が下記である。
この「それでいいと思ってる」というのはあくまでも岡部さんとしてはそう思ってる、ということですよね。 いえもしかしたら多くの人にはそう見えているのかもしれませんが、おそらく規制反対派の人はそれでいいと思っていないわけで。
だから【岡部さんに見えている「人類総体が向かっているモノ」】を『自明で正しい大前提』として会話を進めると、それを前提と認めていない方とのやりとりは噛み合わないものになってしまう。
昨日の岡部さんと夏井さんのやりとりが微妙に食い違っていたのも、このあたりにあるのではないでしょうか。
その上で、今までのお二人の話を整理すると、 岡部さんは ①言論、思想の自由を大切にしたいという考え ②二次元児童ポルノを嫌悪し、排除したいという考え という二つの背反する考えが存在し、
対する夏井さんは、 「②」によって「①」が制限されるのはおかしい、と考えている。
よって争点になるのは、 【「②二次元児童ポルノを嫌悪し、排除したいという考え」 に 「①言論、思想の自由を大切にしたいという考え」 を侵すだけの価値があるのかどうか】、 ということだと思います。
『世界中でそういうコンセンサス(=合意、の意味ですね)が成り立っているから』 言い換えれば『みんながそうしているからそうなんだろう』という酷く他人任せなものに思えた点(この点は私が誤読していた部分もあるようですが)
ということは、「世界のみんながそう思っているから」とは別に『「①言論、思想の自由」を規制してでも「②二次元児童ポルノの排除」の実現を行うべきだ』と岡部さん自身が考える理由があるわけですよね。
とすれば、「加齢臭など個人レベルの(すなわち嫌悪感を抱いた各個人が我慢すべき)、嫌悪と排除の情熱」と「児童ポルノに対する嫌悪と排除の情熱」を区分し、この情熱による「言論、思想の自由」の規制を正当化する(と岡部さんが考える)モノとはいったいなんなんでしょう。
うん、長いです。しかもそのせいで、聞きたいことの焦点がぶれてしまっている。
案の定岡部さんにも誤解されたようで、僕が『岡部さんに見えている「人類総体が向かっているモノ」』と考えたものについて、『僕が大風呂敷広げたもので、それは議論の核ではないし、夏井さんと議論するときにも提示していません』と言われてしまった(考えの背景として存在している(背景として存在しないと、同性愛者排除というコンセンサスがあっても同性愛者を差別するつもりはない、という岡部氏の発言に説明がつかない)のに提示されなかったことこそが問題で、もし提示されていればそこを争点として議論が成立し得たのではないか、というのが私の考えだったのだが)。
また『①(言論、思想の自由を大切にしたいという考え――和間による追記)、②(二次元児童ポルノを排除したいという考え――和間による追記)はトートロジー(同語反復?――和間による追記)』であり『この「争点」のどちらが論理的に正しいか?というのが間違い』だ、とも言われてしまった。
つまりここが私と岡部氏の違いで、岡部氏が『この「争点」』について『争うことが原理的に不可能』としているのに対し、私は議論が成立するし妥協点も見出し得るかもしれないものだと考えている(つまり、「争点について議論が成り立つかどうか」が争点になっている)わけだ。
・三回目の発言と回答
二回目に対する岡部氏の返答によって、自分が何を言いたいのか私の中でははっきりした。
ならば次にすべきは、この言いたいこと(=児童ポルノの規制問題についても、賛成派と反対派の間で議論は成立する)を、説得力のある根拠と共に相手(岡部氏)に伝えることだ。
またこの時の返答では『コンセンサスとか潮流っていう概念が腑に落ちにくいのならば、レイシズム(人種差別――和間による追記)を例にとって考えてみてはいかがでしょうか?』というご提案も岡部氏からいただいていた。
よって「説得力のある(と私が考える)根拠」としては人種差別、それも説明のしやすさ(差別の根拠として「人種的に劣っている」という荒唐無稽なモノ,「ユダがユダヤ人」という事実であっても理由にならないモノの二種類を上げられる)から「ユダヤ人差別」を選択した。
論法としては、
1.ユダヤ人差別についてのコンセンサスが「賛成」から「反対」に遷移していく過程では、賛成派による「差別の根拠」の出鱈目さを反対派が論破する(つまり賛成派と反対派で検証,議論が行われる)、という場面もあったはずだ。
(2.より説得力を持たせるため、岡部さんが「排除は正当」と考えているヘイトスピーチについても「同様の議論は存在するはず」と触れる)
3.同じように児童ポルノ規制でも、「排除の根拠」について規制賛成派と規制反対派で検証,議論を行うことは可能なのではないか。
というものだ。
そして実際にツイートした内容が、
はい、この点をそのまま受け入れることには抵抗があります。コンセンサスとか潮流とか、あるいはそれによって成立する「多数決投票」というものを、私は無条件には信じられないのだと。
何故なら、過去に成立していたコンセンサスや潮流の中には、現在の価値感では決して受け入れないものである場合がかなりあるからです。
たとえば「同性愛者に対する嫌悪,排除の情熱」あるいは「ユダヤ人に対する嫌悪,排除の情熱」というどう考えても正当化できないようなものすら、ある時代,ある地域では人々の間で広く共有され、それに基づく差別が行われていました。
そういったことを考えれば、「現在世界的に成立している潮流」についても、そのような潮流があるから正しい、とは決して言い切れないと思います。
ただそれと同時に、人種差別だとか同性愛者差別だとかいったものを現在は(ある程度ではあっても)克服できているのも事実です。 これについては、「今は偶々そういう潮流が存在するだけ(未来には潮流が変るかも)」ではなく、必然的なものであると私も思っています。
そして同時に、「存在していた差別や排除」の根拠の検証が、新たな潮流を形成する一助になったのではないか、とも考えています(だからこそ児童ポルノについても、『「争点」のどちらが論理的に正しいか?というのが間違い』だという岡部さんの意見に納得できないんです)。
たとえばユダヤ人差別の場合(あくまで例として挙げるのであって、差別を助長する意図はありません、念のため)、これが蔓延していた時代には「ユダヤ人は拒絶しよう」というコンセンサスが存在し、
同時に「排除」することが正当であるという根拠(「ユダヤ人は人種的に劣っているから」とか「キリストを裏切ったイスカリオテのユダがユダヤ人だったから」とか) も「その時代の多くの人々」に共有されていました。
だから「差別」と「反差別」が対立した場合、この「差別の根拠」は命題となり、それが論理的に正しいのかどうかが議論の争点となります。
ユダヤ人差別の場合は、根拠に論理的正しさなど勿論ないわけで、検証すれば(その検証が正しく行われれば)「人種に優劣なんてないよね」「いや、2000年も前のことは理由にならないでしょ」と根拠は否定されます。
そしてこの検証の結果を受けて「差別はよくない」という新たなコンセンサスが成立しているというのが、現在の状況の一側面だと思っています (多分に単純化や論理重視が過ぎている部分はありますが)。
またこれは、逆に排除が成立する場合でも言えることだと思います。 たとえば例として挙げられていたヘイトスピーチの場合(この件については全然詳しくないので想像になりますが)、
まずヘイトスピーチがまかり通っている状況があり、それに対して「●●だから」という根拠に基づく「ヘイトスピーチ規制論」が発生する。そして「●●だから」という根拠の検証が行われ、それが論理的に正しいものとみなされた結果「スピーチ規制」というコンセンサスが成立する
つまりコンセンサスの有無やベクトルの方向は結果として生じるものでしかなく、大切なのは「それを支える根拠の検証」が上手く行われているかどうかだと。
だとすれば児童ポルノの場合でも、「規制すべき」という主張には、「なぜなら●●だから」という根拠があるのではないか、そしてこの根拠を検証することで、規制派と規制反対派にも分かりあう余地があるのではないのか
(たとえば検証の結果、根拠に誤りがあるという結論が出れば規制反対派に鞍替えする規制派もいるだろうし、逆に根拠が真だという結論が出れば規制派に意見を変える規制反対派もいるかもしれない)
と考えるのですが、この検証の対象となり得るような「二次元児童ポルノを規制すべきである根拠」というのは絶対にありえないのでしょうか。
と、ここまで書いて思い付いたのですが、 岡部さんの考えている「規制の根拠」って「ペドフェリアは(たとえその欲望が向いているのが二次元であっても)病気であり、天然痘などと同様撲滅すべき対象であるから」というモノじゃありませんか?
(いえ、最後のツイートは岡部さんと夏井さんのやりとりを読んだ私の思い付きなので、的外れであれば一笑していただいて構いません)。
……だから長いって!
長くなった理由としては、
・『コンセンサス云々』をマクラとして付けたが、それが思いのほか引き摺ってしまった。
・誤解を招かぬようアナが無いよう、と考えた結果、具体例についてグダグダと書き過ぎた。
・失礼の内容丁寧な文章を心がけたつもりが、単に言い回しが回りくどいだけになった
・ツイッタ―なのにブログ記事を書くノリで書いていた
・最後に思い付きを加えてしまった
など色々あるのだが――
ともかく長々と送り付けてしまい、岡部さん申し訳ありませんでした。
ツイッタ―はブログとは違うし、特に「返信」で送る場合は他者にも迷惑を掛けるのだから、もう少しそこのところをよく認識しておくべきだった。要反省である。
ともかくこれに対する返答として、岡部氏からは
『端的にお伺いしますが、ヘイトスピーチ規制が正しくて、児童ポルノ(二次元)規制が正しくない理由を、論理的に教えて下さい。』と言われてしまった。
・次の発言についての検討
つまりまた誤解されてしまったようだ。言いたかったのは
「賛成派と反対派の間で議論は成立するのではないか」
ということで、この議論の結果である「規制が正しい」「正しくない」については触れていないつもりだったのだが――だとすればまずは絶対に、この誤解から解かなくてはならない。
とすると書くべきことは、
・誤解であることを言う。
・要求された『ヘイトスピーチ規制が正しくて、児童ポルノ(二次元)規制が正しくない理由』は提示できない,しても意味がないことを、理由と合わせて言う
理由:正しい,正しくないは「議論の結果として出される合意点」であるべきと私は考えているので、その議論をしていない段階ではまだ「正しいのか正しくないのか分からない状況(これはヘイトスピーチ規制でも児童ポルノ規制でも同じ)だから。
・同時に前回の私の発言では、「ヘイトスピーチ規制→正しい、児童ポルノ規制→正しくない」ではなく「ヘイトスピーチ規制+児童ポルノ規制→どちらも正しいかどうか議論が行える」という構図だったことを示す。
・上記の「議論が行えるかどうか」について岡部氏と私の間に意見相違が存在するので、その相違点について検証を行いたいという意思を示す。
といったところだろうか。
これをツイートとして整理して、
返答が遅れ申し訳ありません。また、文が稚拙で岡部さんの誤解を招いてしまっていたようです。その誤解の解消もかねて、以下3ツイートで纏めたつもりです。
私が言おうとしたのは「賛成派と反対派でも、お互いの主張を検証,議論して合意点を探れるはずだ」ということで、議論した結果である合意点(正しいかどうか)には触れていないつもりでした(∵まだ議論していないから)。
ヘイスピ規制派の根拠→ヘイト対象を傷付けるから規制すべき(この論点は、規制派と規制反対派で検証,議論可能)。同様に児ポ規制派の根拠→児童を傷付けるから規制すべき(この論点は、規制派と規制反対派で検証,議論可能)、と思ってたのですが、
児ポ規制は憎悪によって行われていて、その正しさは争えない,議論できないと岡部さんは言われる。だからその「児ポ規制の正しさ」をよく知って、それを賛成派と反対派で議論することが本当に不可能なのか確かめたかったんです。
を投下してみよう。
・今後のやりとりについての検討
私の発言に対する岡部氏の予想される反応は、
「原理原則の正しさは論理的に争えない、コンセンサスで決めるしかない」
というものだ。だがこの考え方は、
「同性愛者差別がコンセンサスを得ている状況が発生しても、同性愛者差別を行うことにはならない」
という岡部氏自身の発言と矛盾する。この点を指摘することで、岡部氏が「同性愛者差別を行わない」という理由、
『大風呂敷を広げれば、性的マイノリティへの理解やペド嫌悪(児童保護)は、霊的進化のベクトルに一致すると思う』,『その一方向ベクトルを認識しているのでそれはありえません。』
に話を戻したい。
この『性的マイノリティへの理解やペド嫌悪(児童保護)』が『霊的進化のベクトルに一致する』、つまり正しいものだ、というのは、時代の潮流やコンセンサスとは独立した岡部氏自身の価値感であるはずなのだ(でなくては、「同性愛者差別がコンセンサスを得ている状況」でも彼が同性愛者差別を行わない理由に説明がつかない)。岡部氏にとっては当たり前すぎて意識していないのかもしれないが、氏の「同性愛者は排除しない」「ペドフェリアは排除する」という選択はこの価値観に沿ったものであると予想される。
そしてこの価値観についてならば、議論,検証は当然成立するのではないか。
たとえば同性愛に対する寛容が進んだ原因の一つは、同性愛に関係している性同一性障害について、理解が進んだことだったはずだ。この理解は医学的,科学的なものなのだから、当然再検証は可能だろう。同様のことは、ペドフェリアの理解(それが病気だ、という理解も含めて)についても言えるはずだ。
*1:以下の記述では、纏めやツイッタ―から引用したものについては『』で括って表示している。他人のツイートそのものを表示させて問題ないのかはよくわからないのでいったん保留、もし問題ないのであればツイートの表示も行うように変更するかもしれない
試験記事4
ツイッタ―の内容を引用する
↓
一部のみ
全文
マークも
試験記事3
機能確認のため、試験的に作成した記事です。
ツイッタ―との連動試験中……今度こそ。
↓
編集してみる。
この場合、ツイッタ―に送信されるのか。
試験記事2
機能確認のため、試験的に作成した記事です。
ツイッタ―との連動試験中。
試験記事
機能確認のため、試験的に作成した記事です。
二次創作のジャンルについての個人的分類
二次創作の紹介を行っているようなサイトでは、作品のタイプを示すために「オリ主」,「アンチ・ヘイト」,「クロスオーバー」などの作品のタイプを表わす語が使われている (またハーメルンなどでは、この語をタグとして筆者が登録し、読者が検索条件にすることも可能である)。このような作品タイプについて、【何によって分類しているのか】や【分類される作品が持つ特徴】を、二次創作を俯瞰する意味も込めて自分なりに整理してみた。
長さによる分類
- 短編
- 中編
- 長編
この長さは、必然的に『何を書くか』とも関わってくる。
1.短編
その短さの為、ストーリー展開などを原作から乖離させることは行われない*1。原作の物語や人間関係はそのままに、その世界の中で有り得たかもしれない『1シーンの光景』を切り取って描く。よって描写の美しさや登場人物の心情再現が特に重視される。
いわゆる[R18の薄い本]の大部分も、有り得たかもしれない「ベッドでの1シーン」を描いているという意味でこれに当たる。
2.中編
単なる1シーンの描写ではなく、起承転結などの構造を持ったストーリーを描く。よってほとんどの場合は、何らかの形で原作との乖離が作中で発生する(というか中編の作者の大半は、自らが望む「原作と乖離した展開」を発生させるために創作を行っているように思える)。この乖離にいかに説得力を持たせるか、逆に『原作を再現する作品(ノベライズなど)』の場合はこの乖離をいかに感じさせないかが、作者の腕の見せ所となる。
3.長編
乱暴に言えば、複数の中編を連ねた物。一つの中編で生じている「原作と乖離した展開」が次の中編にも影響を与えるため、ストーリーや人間関係が原作とは大きく異なることも多い。個人的には、バタフライ効果などで展開乖離がどんどん波及した結果生じる「どうしてこうなった」感こそが、長編の醍醐味だと思っている。よって原作と異なる要素(オリキャラ、クロスオーバーなど)を含みながら展開は原作を踏襲しているような長編を見ると「手抜きじゃん」「つーかこれ、原作でよくね?」などと思ってしまうのだが……後述する「主役:原作知識有」などのなかには、この『原作から展開を乖離させない』ということ自体を物語の根幹に置いているものもある。
創作対象の範囲による分類
- 原作再構成
- 作中の一コマのみを切り取ったもの
- サイドストーリー
- アフター
- 前日譚
- キャラ流用
原作を元に創られるのが二次創作だが、語られる対象の範囲(どのような期間の、どのような集団についての話を語るのか)は原作と同じとは限らない。よってこのタイプは、原作との対比によって類別できる。
1.原作再構成
原作のストーリーに沿って展開するという、最もオーソドックスなタイプ。描写される期間や集団も、概ね原作と同じとなる。
――たとえばファーストガンダムの二次創作の場合、宇宙世紀0079年のシャア少佐がサイド7を攻撃した9月18日から一年戦争終結までを、ホワイトベースを中心に描いたものがこれに該当する。
ただ創作中で発生する「原作との乖離」により、描写対象も途中から原作とは離れていくことも多い。
中編,長編の大半はこれに該当する。また商業で行われるコミカライズやノベライズなども、広義ではこれに含まれると思う。
2.作中の一コマのみを切り取ったもの
原作ストーリーの存在を前提としたうえで、そこに描かれていない(が、裏で行われていてもおかしくはない)日常シーンや登場人物の会話を描写する。
主に短編。「原作との乖離」は発生せず、既にある設定や人間関係などをより深く掘り下げたり補完したりすることで、原作をより楽しむためのもの……なのだが、そもそもの「前提としている原作ストーリーの人間関係」などが創作者や読者の妄想に塗れたものである場合もある(特にBL,GLなどの場合、その傾向が顕著になる)。
3.サイドストーリー
原作の世界観を前提としたうえで、全く異なる視点から別のストーリーを創り出す。
――たとえばファーストガンダムの場合、同時期にコロニーで行われていた戦闘(ポケットの中の戦争)、オーストラリア戦線で行われていた戦闘(コロニーの落ちたちで)などが、広義のこれに当たる。

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 (角川文庫―スニーカー文庫)
- 作者: 結城恭介,美樹本晴彦
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1989/10
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 17回
- この商品を含むブログ (5件) を見る

機動戦士ガンダム外伝―コロニーの落ちた地で…〈下〉 (角川スニーカー文庫)
- 作者: 林譲治,富野由悠季,矢立肇
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2000/01
- メディア: 文庫
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
4.アフター
名前の通り、原作が終わった後のお話。
その後の登場人物の日常を短編として描く「作中の一コマの切り取り」寄りのものもあれば、原作終了後をスタートとする中,長編を描く「原作再構成」に似た作品もある。
通常は「原作通りに物語が終了した後」の話だが、創りたい「アフター」のために「原作とは違った終わり方をした世界」を捏造する場合(「本編●話から分岐、●●エンド後のアフター」など)もある。
また「原作通りに物語が終了した後」の「十分にあり得る可能性」として創られている作品の場合、原作側による「アフター」=正式な続編が制作されることで盛大に梯子を外されたもする(例、リリカルなのは……A´s終了後に創られた、「クロフェ」の二次創作→StSでは、クロノはエイミィと結婚)。
ちなみに今でもよく読み返す未完の超大作アフター創作、Happy Days。
多重クロスでオリキャラも多数出てくるのだが……正直どれがクロスの他作品キャラでどれがオリキャラなのか、僕などはほとんど把握できていない(原作とかどうでもよくなるくらい、面白い!)。
5.前日譚
これまた名前通り、原作開始前の話。基本的には原作に繋げるための物語なので、設定などを原作といかに食い違わせないかが作者の腕の見せ所となる。
原作の補完を目的としたものが多い。「ああ、これが原作のあの展開に繋がるのか」といった小ネタを仕込む余地がある一方、原作を知っている読者には最終的な着地点が明白となってしまい、個人的にはその為にややカタルシスに欠ける嫌いがあると思う。
お気に入りの前日譚、魔法学院でお茶会を
6.キャラ流用
原作のストーリーなどは完全に無視して、登場するキャラクターなどのみを流用したもの。「学園●●(原作名)」――原作では敵対勢力に分かれて戦っている登場人物が何故か同じ学校内の同級生などとなっていて、ワイワイと騒いでいるようなもの。
キャラクター性を楽しむことのみを重視したもので、ストーリー性などは薄いものが多い。やりたい放題もここまで来ると、いっそ清々しいように思える。
原作乖離の原因
ストーリーが原作とは異なるように展開していく理由。主なものを列挙したが、一つの二次創作の中に複数要素が混在している場合も多い。
1.なし
そもそも原作を前提とした話の場合、原作からの乖離を発生させる原因も当然存在しない。
2.選択の変更
「アムロが一話で乗ったのがガンダムではなくガンタンクだったら(ガンダム)」「ユーノがジュエルシードを地球まで回収しに来ていなければ(リリカルなのは)」「真珠湾に第二次攻撃隊を放っていれば(太平洋戦争)」など、登場人物が原作とは別の(かつ、そうしていても不思議でない)選択を行うことで、ストーリーを分岐させる。
下記の様々なIF要素を採用している場合でも、その影響がこの「選択の変更」へと繋がって、更なる原作からの乖離,原作崩壊を引き起こすことも多い。
3.人間関係の変更
原作で設定されている人間関係を変化させた状態で、物語をスタートさせる。「主人公と○○が開始時から恋人関係だったら」「主人公とライバルの関係が逆だったら」など。
変化させた関係の効果により、後記の「既存キャラクターの改造」も併用される場合もある。また大幅な変更にもかかわらず敢えて性格などをそのままにして、「人間関係の変更」によって生じる原作とのギャップを作品の面白さとしている作品もある(ただしこれが可能なのは、ギャグ傾向が強い場合。シリアス作品でこれをやると、登場人物の立場と性格がチグハグでしらける危険性がある)。
4.オリジナルキャラクターの追加
原作には存在しないオリジナルキャラクターを混入させる。
オリジナルキャラクターの役割としては、大きく分けて
・「選択の変更」を発生させるための使い捨てキャラ
・その後も物語で重要な役割を果たすレギュラーキャラ
・その物語の中心を張り続ける主人公キャラ
の三通りが考えられる。最近では三番目の主人公キャラ(いわゆる「オリ主」)に更に特別な能力*2を持たせたり「原作知識」を与えたりした上で、読者(あるいは作者)の自意識投影対象として作中で傍若無人な振る舞いを行わせるタイプの話が、旧二次ファンなどを中心に一大勢力を誇っている。
5.イベント,事件,異設定の追加
大きなイベントや事件を引き起こし、その影響に引きずられるように原作の流れを変える。「金融危機により〜」「隕石が落ちて来て〜」など、原作とは全く脈絡がないが影響を受けないわけにはいかない重大問題で、元々のストーリーの根幹を強引に変容させる手法である。また後述する「クロスオーバー」の場合、「クロスする作品との接触」自体がこの事件となることもある。
ギャグや一発ネタとしては割と見るが、シリアスでやる場合はよっぽど設定を固めておかないとグダグダになってしまう。
二次創作ではないが、
たしか木星が爆発したせいでレーダーが使えなくなって、それが原因で第二次世界大戦が変化した(いや、明らかにそれだけが原因ではないが)、という作品がこちら
↓

- 作者: 吉田親司
- 出版社/メーカー: 銀河出版
- 発売日: 2004/11/01
- メディア: 新書
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
6.既存キャラクター,既存勢力などの消去
原作に加えるのではなく、原作に存在していた要素を引いていくという方法。消去する対象としては人や組織、兵器や技術など様々なものがあり得る。
原作中で重要な役割を果たしていた人物を消去する場合には、元々存在しなかったことにするだけでなく、冒頭で「原作では存在しなかった事故など」を引き起こしてそれで退場させる、という手法もある。
7.既存キャラクターの改造
原作で存在するキャラクターの性格を改変したり、特殊な能力を追加したりする*3。やり過ぎた場合は魔改造とも呼ばれ、そのキャラクターを消去して代わりにオリジナルキャラクターを入れたのとほとんど同じ状態となる。
魔改造されたキャラクターは大抵その二次作品の主役となり、作者,読者の自意識投影対象として作中で傍若無人な振る舞いを行うこととなる。
最近では「魔法先生ネギま!」の二次創作で千早魔改造モノが興隆を誇っていた。
↓
桂樹通信様 千雨魔改造SSリスト
8.クロスオーバー
文字通り、異なる複数の作品が一つの話の中で交わるもの。
タイプとしては、
・複数の作品の出来事が元々同じ世界で起きていたものである、とする世界観共有型
・何らかの原因で異なる作品の世界が繋がる、という接触型
・一方の作品の登場人物一人(あるいは複数人)が他の作品世界に訪れる、という来訪者型
に大別される。
中でも数が多いのは来訪者型で、この場合の「他作品からやって来た登場人物」は大抵その二次作品の主役となり、作者,読者の自意識投影対象として作中で傍若無人な振る舞いを取ることとなる。
9.転生,憑依,漂流,逆行
・転生→その作品とは異なる世界の人間*4が、作品内の人間として生まれ変わる(赤ん坊からやり直す)こと。
・憑依→その作品とは異なる世界の人間が、作品内で生きている人間(既にそれなりの年齢)の意識を乗っ取ること。
・漂流→その作品とは異なる世界の人間が、体ごと作品内にワープすること。
・逆行→その作品内の人間が、その時代より前の時代の同作品内に転生,憑依,漂流すること。
転生,憑依,漂流,逆行を行った人物の大半は、これから作中で起こることについての知識(所謂「原作知識」)を持っている。
このため彼らは、
・知っている「原作の流れ」を変えるべきか変えないべきか
・「原作の流れ」を知っていることを周囲の人たちに話すべきか話さないべきか
・自分は周りの人たちを、「知っている原作の中の作り物」としてしか見れていないのではないだろうか
等の悩みをほぼ自動的に抱えることとなる。
また転生,憑依の場合は、
・自分が転生,憑依したことで、元々存在するはずだった人間を殺してしまったのではないか
・転生,憑依する前のことを覚えているという異常な自分は、周りの人間(特に両親)にどう接するべきなのだろうか
という葛藤もそこに加わる。
さらに転生,憑依,漂流,逆行を行った人物は大抵その二次作品の主役となり、作者,読者の自意識投影対象として作中で傍若無人な振る舞いを取ることとなる。
主役(描写の中心となる人物)
- 原作の主人公と同じ
- 原作登場人物のうち、原作では主人公でなかった人物を主役とする
- オリジナルキャラクターを主役とする
『作者,読者の自意識投影対象として作中で傍若無人な振る舞いを取る』確率は、
「オリジナルキャラクター」>「原作登場人物」>「原作の主人公」。
これはこのタイプの話が、「原作で成功した人物を貶めることで、作者,読者が優越感に浸る」という構造を取っているためである。もちろんオリジナルキャラクターが主人公でも通常の登場人物と同様の扱い(成功もすれば失敗もする、失敗すれば非難される)である物もあり、逆に原作主人公でも特殊な能力を追加で与えた上で傍若な振る舞いを取らせる類の二次創作もある(特に原作における主人公の扱いが酷い場合、この傾向は強くなる)。
特徴的な作品展開による分類
- 最強もの
- 断罪
- アンチ
- ヘイト
- ダーク
- 鬱
1.最強もの
主人公が『作者,読者の自意識投影対象として作中で傍若無人な振る舞いを取る』作品。最低系とも呼ばれる。
2.断罪
作中で特有の登場人物(あるいは勢力)の非が一方的に糾弾され、かつその非難が正当なものと作中で評価されている作品。
3.アンチ
原作の主張や登場人物の在り方に思うところがある作者が、「それらへの反対意見(アンチテーゼ)」を主張するために創った作品。原作と比較することが前提であるため、作品には相応の客観性が求められる。
4.ヘイト
原作あるいは原作登場人物に嫌悪を抱いた作者が、その思いをぶちまけることで出来上がる作品。作者と同様の趣向を持つ読者のみを想定しているため、作品の客観性は求められない。
「最強もの」であったり「断罪」で会ったりすることも多い。
5.ダーク
原作の雰囲気を無視して、登場人物が壊れたり酷い目に遭ったりする作品。「鬱」に比し、肉体的なダメージが強調されることが多い。
登場人物が酷い目に遭うという点では、「ヘイト」とも共通していると言える。だがその被害が正当な理由(たとえ客観的にそう見えなくても、作者はそう考えている)に基づくものである「ヘイト」に対し、「ダーク」では不条理に被害が発生するという点でむしろホラー的要素が強い。
6.鬱
登場人物が失敗したり辛い目に遭ったりする作品。「ダーク」に比し、精神的なダメージが強調されることが多い。
登場人物が辛い目に遭うという点では、「ヘイト」とも共通していると言える。だがその被害を与えることで読者の喝采を得ようとする「ヘイト」に対し、「鬱」の場合は被害を受ける登場人物側に読者を共感させ、同情や遣る瀬無さを感じさせることを目的としている。
作品全体だけでなく、その一部分だけについて言われる場合もある(●話は鬱展開です、など)。
まだまだ他にもタイプはあると思うけど、とりあえずここまで。
思いついたら、また追記していくかも。